「お前は悪魔みたいな女だ」とその人はよく言った。時にはいたずらっ子のような声色で、時には呆れたような笑顔で、時には冷めた目をしながら。

さて問題です。悪魔のような女にしたのは誰でしょう? …答えなんてわたしにもさっぱりだ。

 

スツールに腰掛けてわたしはカフェラテに口をつける。ぼんやりしながら、恋煩いに似たため息を落として。ネイルと同じピンク色のグロスカップにべったりとついていた。厚いカーペットにぐったりとした珈琲の香りが漂うこの喫茶店が妙に祖父母の家を思い出して、とても居心地が良い。塾をサボって祖父母の家に飛び込んでチョコレートケーキを食べたあの日を懐かしむ。

 

触感と香りはたちまち過去の記憶を思い出させる、とわたしは思う。良い思い出も思い出したくないような記憶もすべて引っ括めて。反対に、香りを忘れると触感も忘れてしまう気がする。

ざらざらとした猫の舌、赤子みたいなミルクの匂い、変わる前のマルボロのソフトパッケージ、焼けた本の匂い、氷のような、それでいてざらついた指先。

彼といるとわたしはたちまち不安になる。それは本当に自制がきかなくなっていくような感覚に陥る。自分が自分でないような気持ちになるような。会っている間は時間という感覚も失って、世界にふたりきりだという気がする。

彼が仕事に行く時間。ドアの前でお別れをしたら世界の時間がめまぐるしく変化して、ひとりきりになるとこの世界のたった一分、その六十秒がなんだか二時間程経過したかのように感じてしまう。そんな自分自身がなぜだかすごく怖いのだ。

でも、それでも。きちんと愛している。髪の先から短く切り揃えられた爪までまるごと。今までの恋愛が嘘だったみたいに。それはまるで洗いたての清潔な真っ白のシーツみたいに。

人と眠るのが苦手なわたしだったのに、彼のそばならその体温に甘えて溺れたよう。

ずっと続く愛なんて嘘だと思っていたけれど、彼といると本当に存在するのではないかと錯覚してしまう。どうしてくれるの?

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